生活クラブやまがた独自生産者 丹野商店 丹野徳雄氏来訪
大震災からほぼ2ヶ月が経過した5/4(水)、震災で被災され、身内にご不幸がありながらも早々に消費材の生産再開に意欲を見せる丹野商店(宮城県石巻市)社長、丹野徳雄さんが本部センターに元気な顔を見せてくれました。
今回の訪問は生活クラブやまがたが行なった救援物資搬送のお礼と取り組み再開の打ち合わせを兼ねてのものでした。
丹野さん(左)とお見舞金を手渡す井上理事長(右)
地震後ようやく落ち着いてきたと話し、震災の様子をお聞きすることができました。
丹野さんから聞く震災の話しは生々しく、今回の地震、津波はどれだけの人命を奪い、被害をもたらしたか計り知れません。印象的だった丹野さんのお話しです。
「妻を亡くしましたが、あの時家に行って連れて来れば妻を助けられたかも・・しかしそうしたら従業員の命は救えなかったかもしれない。とタラレバをいったらきりがないですね。」
「ガレキの山ばかりです。毎日2ヶ月近く見ています。毎日です。この光景が夢でないのが哀しい」
「津波は4回でした。一度波が引いたときに、「孫を助けに行く」「免許証をとりに行く」などと言って戻った方がそれきりです。」
「あまりにも家族や友人を亡くされた方が多く、自分の事は口に出せないですね。」
「復旧には間違いなく10年は掛かるでしょう。たとえ生産者の工場が復旧できたとしても、排水のラインが壊滅です。工場で出た排水の処理ができないのです。生産者、県レベルでは無理です。国レベルの支援、復旧が必要です。」
「今回の地震でわかったことは、人は仕事があること、家族が居ることの重要さです。家も物も全部なくなっても家族が居るから生きている。仕事があるから前を向いて生きていける。」
もっと書ききれないほどのお話しをお聞きしましたが、最後に笑顔で「私が70になる頃ようやく復旧したと言えるようになるのではないか。」と言ったのが印象的でした。
未曾有の災害に遭われ困難な状況に置かれているのに、再開に向けて頑張っている丹野さんをとても力強く感じました。
丹野商店をはじめ被災された生産者は復旧に向けて奮闘されています。わたしたち生活クラブやまがたができることは、利用結集することです。
その消費材を求める組合員がいて、消費材を生産、供給することで復旧しようとしている生産者がいます。わたしたちはより多くの人に消費材、生産者を伝えること自らが利用することが役目です。
ともに歩んできた生産者の復旧、復興の力になりたいと感じています。
丹野商店消費材6月1回からやまがた独自ライブリーにて取り組み再開です。
赤魚3枚おろし、甘汐つぼだい切身2切、塩紅鮭切身、銀たらカマ、銀たらミリン漬け、甘塩つぼ鯛三枚おろしなど順次再開
文/後藤