あれから4年・・・復興は遠い!
米沢支部の被災地訪問 in 福島 報告
数え切れない黒い袋
2015年11月7日(土)午前7時、総勢29名で米沢市役所を出発しました。ルートは福島飯坂から伊達市を通り霊山(りょうぜん)に、そこから飯館村を通り南相馬市の小高区、浪江町請戸に入りました。
飯館村に入った途端、車内から「うわぁー」いう声が上がり、そこには黒い袋(ドラム缶2本分位の大きさ)が数え切れない位 置かれた風景が広がっていました。
上野寛さん(避難者支援センター【おいで】)から、黒い袋の中身は除染された土であること、また受け入れ先が見つからず、そのまま放置されていることを教えてもらいました。
人がいない街
車は南相馬市原町、小高区、浪江町請戸へ(一時立入車両通行許可書をとっての視察)。浪江町に入って景色が一変。建物があっても生活感が全く感じられない、まるでゴーストタウンのよう。一つの街から人だけが居なくなりました。地震で倒れた建物やまだ新しい住宅が建ち並び、ここで暮らしていた方たちの想いは...。
浪江町は原発マネーを受け取ることなく、独自の街づくりで頑張ってきたと聞きました。しかし、その願いは、ほんの数キロ先の原発事故で粉砕されました。何とも言えない気持ちになりました。
慰霊塔にて合掌
浪江町請戸にある慰霊塔で、参加者全員が手を合わせてきました。請戸の海側は4年経った今でもその傷跡が残り、あちらこちらにコンクリートの基礎や津波で壊れた住宅だけが残っていました。
南相馬の復興が進まない背景には放射能が高いということもあり、建設業者が中々仕事を引き受けてくれないと、渡邉秀一さん(南相馬市原町区在住)は語っておられました。
関心を持ち続けること
今回の東日本大震災、想定外の自然の猛威の中で、人間はもちろん、文明や歴史も無力になってしまう怖さを実感しました。電気を作る原発が電力停止で大事故になってしまうという笑えない皮肉...、腹立たしいです。東日本大震災は、被災地だけじゃなく日本全土が受けた一大事です。
行政、民間、そして個人が一丸となって復興に望む覚悟、そして最後の最後まで関心を持ち続ける姿勢が大切に思います。起こってしまった事実を受け止め、何をすべきか?と自分の行動を見つめ直すいい機会かもしれません。僕はこれまで以上の節電を心がけることを決意したのでした。
報告:高畠地区担当職員 宍戸 陸生